このページは1998.11に作成したものであります。


◆ がんばれ、湯川専務(その3)

 

はすぴーが最近、有名人化している「湯川専務の素顔」をネタにして

エッセイを書いたら、数名の人から「その3」はないのかというリク

エストというか励ましのメールを頂戴しました。 

湯川専務を知らない人には全然、面白くもなんでもないネタなのですが、

せっかくリクエストを頂いているので、「その3」を紹介させていただきます。

 

はすぴーが湯川専務と初めて会ったのは、今から約15年前に溯ります。

以前にも書きましたが、はすぴーはC社というコンピュータ関連の会社

に入社しました。C社では「社内試験」という行事が毎年あり、東京地

区では青山学院大学で実施されていました。

 

試験が終わった頃、青学に改造されたムスタング「マッハ1」がボボボゥ

というエンジン音をうならせて入ってきました。そして中からはエリヴ

ィスプレスリーの格好をしたおっさんがでてきました。(プレスリーの

格好・・・のれんみたいな白いピロピロのついたやつが腕にあって、襟の

やたら大きいやつ)【写真参照】

 

はすぴー:「どこの暴走族だろう。でもオヤジみたいだぜ」

先輩:「バカ、あれ、うちの役員だ」

はすぴー:(無言)うっそぉ〜

先輩:「お前、湯川専務を知らないのか!もぐりだぞ」

 

【解説】この15年前の当時から湯川氏はC社では専務であり、常務と

専務を行ったり来たりしております。

 

当時の湯川専務はスーツの裏側にやくざがするような刺繍があったり、

肩で風を切って歩くスタイルだったので、どうみても会社役員というより

「堅気でない筋の人」というイメージでした。

まさか、自分があの人の下で「社長室」(秘書みたいな仕事)を担当する

とは想像もつきませんでした。

 

 

C社では「2001年 グループ売上1兆円」というビジョンがあります。

これを祈願してC社のO会長は自分の乗る車のナンバープレートを

「2001」としました。

O会長を「おやじ」と崇める湯川専務も愛車を「2001」に変え、以来

ずーと、このナンバーを使用しています。

もし「2001」のBMW850iを見かけたら、それは湯川専務です。

 

湯川専務は荻窪に住んでおりますが、荻窪といえば「ラーメン」のメッカ。

湯川専務はラーメンが好きなので、有名な「春木屋」にもよく行くようです。

春木屋の前にBMWが止まっていたら、それは湯川専務がいると言っていい

でしょう。

またマクドナルドも好きなので、マックの前に紺色のBMWが置いてあれば

湯川専務の可能性が高いと思います。

荻窪に住んでいるので、本来なら「練馬ナンバー」となるところなのですが、

BMWの練馬ナンバー、足立ナンバーはダサイと思い込んでいて、

あるズルイ方法によって品川ナンバーを取得しております。

 

ついでに湯川専務はカラオケでは「バラード系」を中心に歌います。

プレスリーの「好きにならずにいられない」チェッカーズの「Song

for USA」は十八番のようです。

本人は「加山 雄三」を意識している面もありますが、加山 雄三という

よりも「荒井 注」に近いと思います。

 

それとテレビCMでは眼鏡をかけて髪を七三に分けていますが、普段は

眼鏡はあまりかけませんし、髪の毛は前に垂らしている時の方が多いと思います。

その2で書いた運動会の時は、みんながジャージ姿であったにもかかわ

らず湯川専務は敢えてCMと同じ姿(スーツ、眼鏡、七三分け)でいてくれました。

暑い日にもかかわらず、子供たちのためにCMと同じ格好をしてくれたん

だと思っています。

 

派手好きで、女性とのうわさの絶えない湯川専務ですが、公私混同は

全くなく、いつも仕事を中心に考え、部下に愛され、企画力抜群の

方です。「おやじ(O会長)に喜んでもらう仕事をしているだけさ」

なんていう少年みたいな一面もあり、企業人はすぴーにとっても大きな

影響を与えてくださった方であります。

(98.11.13)


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