コンピュータの思い出


これまで「あの頃」のセピア色の想い出は昭和3040年代の頃(筆者が小学生〜中学生)を中心に様々な思い出を綴ってきたが、今回は時代が進んで昭和50年後半、私が社会人になった時の「コンピュータ」の話をしたい。

私は昭和58年に情報処理の会社に入社し、経理部門に配属された。新入社員の最初の仕事は朝一番で、経理システムを起動させることだった。現在であれば、電源を入れたら自動的にパソコンは立ち上がるが、当時のマシンはまず始めにフロッピーディスクを1枚ずつ挿入し、計4枚を読み込ませるものだった。若い方にフロッピーディスクと言っても通じないかも知れないが、要するに磁気記録方式の着脱式記憶媒体の一種だ。3.5インチのものを覚えている方はいるかも知れないが、この時は8インチ(約20センチ)のペラペラしたものだった。記憶容量が少なかったこともあり、4枚のフロッピーディスクが必要だったのだろう。また処理能力も低かったため、ディスクを読み込ませ、システムが立ち上がるまで、20分くらい要した。

フロッピーディスクについて補足すると、8インチの記憶容量は128KB、その次に登場した5.25インチは80KB、一般的に普及した3.5インチは360kB→ 720KB→1.44MBと増加した。今、スマホで撮った写真は1枚当たりおおよそ36MBなので、3.5インチのものでさえ、1枚も保存することは出来ない。


   


さて、経理システムを立ち上げた後は、伝票を仕訳しキーボードから入力するわけだが、使える文字は半角のカナ、英数字のみだった。従って取引先の入力は例えば「日本IBM」ではなく、「ニホンIBM」になる。そういう過去の経験もあり、私は今でもカナ入力しか出来ないので、この原稿もカナ入力で書いている。

社内システムはカナ表示でも良かったのだろうが、お客様への請求書などを発行する「販売管理システム」はさすがに漢字でないと失礼だったのか、入力は漢字だった。しかし、現在のようにキーボードで叩いたものを「漢字変換」してくれない。『漢字キーボード』というものを使うのだ。このキーボードには縦12個、横18個のキーがあり、1つのキーには9つ(3*3)の漢字が割り当てられている。すなわち1944文字の漢字しか打てない。(記憶が定かでないが)キーの配列は「音読みで50音順かつ頻繁に使用される順」になっていたと思う。例えば、「足立区」と入力したい時は、まず「足(そく)」を探す。キーの右上にあるとしたら、そのキーと「テンキー」のを同時に押す。そうすると「足」が入力される。次は同様に「立(りつ)」を探して、それがキーの中央にあったとしたら、テンキーのを同時に押す。振り返れば、実にアナログな作業だったと思う。

さらに、このキーボードに存在しない漢字は 「漢字コード表」 という辞書を使って入力する。それぞれの漢字1文字が16進法(数字やアルファベット(09AF))で記載されていて、例えば「足」は 91ab となっていて、キーボードで 91ab と入力すると「足」と変換される。16進法変換なので「HEX(ヘキサ)入力」と呼ばれていた。

現在なら「あだちく」と入力し、変換キーを押すだけのことに、こんな具合で入力するので、とんでもない工数がかっていたのだ。



【漢字キーボード】




そして、その翌年に「IBM5550」という企業向けのパーソナルコンピューターが導入された。キャッチフレーズは「13役」。3役とは「日本語ビジネス・パーソナル・コンピューター」「日本語ワード・プロセッサー」「日本語オンライン端末」であった。現在のように漢字変換してくれたので、それは画期的なものだった。イメージキャラクターは渥美清さんで、フーテンの寅とのギャップが良かったのかも知れない。CMのコピー「友よ。機は、熟した。」を今でも覚えている。当時の価格でフルセットは約150万円〜200万円もしたようだ。「IBM5550」を使うことで入力作業は大いに効率的になったことは言うまでもない。漢字キーボードもすぐに姿を消した。




    





その翌年(昭和60)にオフィスに「ワープロ」が導入された。それまでは手書きだった書類がきれいな活字で印刷されるようになったのだ。ワープロも当時は200万円くらいするもので、部署に1台(だいたい20人に1台)設置されていた。従って、ワープロを使用するには、予約制になっており、時間制限もあった。ワープロの立ち上げも前述の経理システムのように、まず5インチの「漢字辞書フロッピーディスク」を入れるところから始まる。フロッピーディスクの挿入口は2つあり、ひとつは漢字辞書用、もうひとつはデータ保存用になっていた。

この頃、ワープロは各家電メーカーから発表されていて、たとえば「Rupo」(東芝)、「書院」(シャープ)、「文豪」(NEC)などが人気だった。私の勤務先では富士通の「OASIS(オアシス)」を使っていた。OASYSは『親指シフトキーボード』と呼ばれる富士通独自のキーボードを採用していた。これは日本語の「かな」を入力するためのキー配列がユニークで、かな2文字を1個のキーに割り当てていることが特徴だ。親指を巧みに使いながら、入力するので「親指シフト」と言う。慣れてくると入力は早いようで、実際、ワープロ早打ちコンテストでの上位者は「親指シフト」だったという。

その後、ワープロは小型化し、プリンターと一体になり、価格も安くなってきて、個人でも使われるようになった。読者の中にも年賀状をワープロで作成した経験者も多いことだろう。


   



【親指シフト】



ところで、Z世代の方は「ワープロ」の存在すら知らないと思うが、MS-Officeでいうところの「WORD」だと思っていただければ良い。同様にマイクロソフトの表計算「EXCEL」の前身で「マルチプラン(1982年に販売開始)」というものがあった。経理部門に属する私は数字の計算は日常業務だったので、マルチプランは実に役立った。とりわけ縦と横の合計が自動的に一致する機能は便利だった。また表計算には「Lotus 1-2-31983年に販売開始)」というソフトウェアも有名で、簡単に数字をグラフ化してくれることに驚いたものだ。

今では当たり前のことが40年前はコンピュータの登場で、すべてにおいて画期的だった。しかし、本当に革新的なのは、コンピュータ同士がネットワークで繋がれるインターネットになってからだろう。私はインターネットこそ、今世紀最大の発明だと考えている。そしてスマホやAIが誕生し、ますます世の中は変わってくるのだろう。




(原稿:2026.3.15)

 

「あの頃」のセピア色の想い出 

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