白黒テレビの想い出

 

今やテレビはどこの家庭にも2〜3台あるのが、当り前だし、やれハイビジョン

だのBSだのCSだのケーブルだのとますます高度化しつつある情報家電の王様だ。
 

ところが、テレビというものの歴史は浅く、はすぴーが生まれた頃には一般家庭には

まだあまり普及していなかったのだ。

テレビについての想い出を「懐古掲示板」で募ったところ、共鳴するさまざまな話題が

あったので、これらをちょっくらまとめてみた。
(あいかわらず他力本願なやつだ、、、)

 

NHKがテレビの放送を開始したのは、昭和28年(1953)だから、はすぴーの生まれる

5年前にはテレビ時代が始ったらしいが、サラリーマンの年収にも匹敵する値段だった

ので、一般の家庭では高嶺の花だったらしい。いうまでもなく白黒テレビのことだ。

その当時は「街頭テレビ」といって、繁華街の通りにテレビが設置されており、空手

チョップの力道山がテレビのヒーローだった、、、そうだ。

(この頃の記憶はオイラにはまったくない)

 

昭和34年に皇太子(現天皇)成婚パレードの中継がテレビ普及の契機になったともいわれ、

ちょうどこの頃、NHKの受信契約が200万世帯を越えたんだとさ。

年収に匹敵するテレビを買って、他人の結婚パレードなんざ、オイラは見たくないけどね。

まっ、お茶の間にテレビが増えるにつれ、テレビが一家団欒の主役をつとめるようになった

ということだ。。。

 

さて、我が家はどちらかといえば、貧乏の家庭だったけど、父親の新しいもの好きの性格

のおかげで、テレビを買ったのは、はすぴーが生まれる1年前の昭和32年だったと母は

記憶している。、、、というのは、やはり母も成婚パレードをテレビで見ていたクチで、

「お前が動き回らないように紐で縛っておいて、パレードを見てたよ」とヌケヌケと

言っていた。(鬼!)

だから近所では一番、最初に購入したので、夕方になると近所の子供たちが「のーりーこちゃん、

テレビみーせーて」と来ていたらしい。(のりこちゃんははすぴーの姉の名前)

 

先日、実家の両親と姉に「うちが最初に買ったテレビはどこのメーカーだったかな?」と

たずねてみたら、父はナショナルだといい、母は日立だといい、姉はサンヨーに間違いないと

主張していた。(たぶんこの中のどれかだろう・・・汗)

うそのような話だが、当時はテレビを見る時は部屋を暗くして、正座をして見ることが

「正しいテレビの見方」だったのだ。木目調、垂れ幕付きの観音開き、年収に匹敵する御テレビ様

にはこのくらいの礼儀で接する必要がマジであった時代なのだ。

 

テレビの選局は今では、リモコンでワンタッチだけど、当時は「チャンネル」という回転式の

ツマミをガチャガチャと回した。はすぴー世代の人にとっては共通する体験だと思うが

このチャンネルは乱暴に回しすぎると「スポッ」と取れてしまうことが頻繁にあった。

そこで我が家では、「チャンネルは必ず右に回転させること」という家訓に近いルールがあった。
(はすぴー一家 右ネジの法則〜チャンネルは一方通行の巻)

左右に回すと壊れやすいと父がどこからか聞いてきたからだ。(父はこういうガサネタに滅法弱い)

だから、NHK(1チャンネル)から東京12チャンまで行くにの左回しだと、お隣さんなのに、

それは許されない禁じ手であり、約1周回さなくてはならなかったのだ。(^^ゞ

取れてしまったチャンネルが今度はうまくはまらなくなってしまって、チャンネルの付け根の

部分をペンチで回した記憶も生々しいなぁ。

 

 

当時の白黒テレビは「真空管」というものが使用されていて、今のようにスイッチを入れれば、

画像がすぐに出てくるものではなく、まず音声が出てきて、画像がでるのに約20秒くらいかかった。

その出かたも、いわゆる「フェードイン」という感じでゆっくりと現れる。

だから技術革新によるトランジスタ化で「日立のポンパ」が出たときには驚いた。

スイッチを入れると画像がすぐに現れるんだもんな。

そして真空管なのでスイッチを切っても、一気に画面は消えないのだ。

スーッと中心に向かって暗くなっていく。まるで、流れ星のような感じの「フェードアウト」なのだ。

ちなみに今、私が使っているパソコン(Win95)も立ち上げるのに2分くらいかかるので、もしかしたら

真空管で動いているのかも知れないな。(自爆)

真空管の影響かもしれないが、当時のテレビは熱をやたら発生し、テレビの上で目玉焼きができた

ことは、、、さすがになかったが、冬はヒーターの代わりをしていたことも、、、、、なかったか。(笑)

 

やや話題がそれるが、高嶺の花のテレビも70年代になると壊れたテレビはよく道端に捨てられていて

はすぴーはこの「真空管」という部品を取り出して、塀に投げつけて割った。

「パコっ!」とか「ボスっ!」いい音がするんだ。さらに「ブラウン管」に至っては石で割ると

「ドコーン」と凄まじい音がする。

またあれはどこの部分だったのだろうか、鉄製の磁石が使われていて、こいつを苦労して取り出した

ことがある。おもちゃの磁石に比べて何十倍も強力だったので、ちょっとした宝物だった。

 

あの頃のテレビのアンテナは室内のものが一般的だったような気がする。

本当かどうか知らないが、アンテナを外に立てるとNHKが受信料の集金が来るので室内型が

多かったという話もある。今でいうBSアンテナを取り付けるや否やNHKに雇われたアルバイト

の集金野郎がやってくるのに似ている。。。

NHKの集金といえば、「うちは絶対にNHKは観ません。紅白だって観ませんっ!」と主張すれば

集金を免除してくれるという話を聞いたことがありまるが真実はさだかでない。

 

だから当時のテレビは受像があまり良くなかったのだ。

室内アンテナはアルミ管をリボン状にしたようなやつで、閉じたり開いたり角度を変えて調整する。

場合によっては逆さにしたり、、、、結構、この調整に苦労したもんだ。

懐古掲示板からはこんな投稿もあった。

 うる覚えですが、テレビの映りが悪くて、TVの上か、ちゃぶ台の上かどちらかに、

 「裁ちばさみ」を置いていた覚えがあります。

 裁ちばさみの角度や、開き具合によって、テレビの映りが変わったような。(今考えるとかなり危険!)

 はさみの役割は、いったい何だったんだろう?

  (BUNBUNさん)

 

 うちも子供の時に確かテレビの上に金属の物を置いて、あっちゃこっちゃ向きを変えてました。

 多分当時のブラウン管は磁気が外に出やすくてそれで近くの金属と反応して画面のピントが

 合ったんでしょうか?

   (爆睡問題さん)

 

 これはハサミがアンテナの役割をしていたのです。昔は室内アンテナが多かったので、そのアンテナ

 のそばにおけば効果的面です。「ハサミを開く」というのがポイントで、そうることにより、ハサミ

 の刃と刃の間で電波が増幅されるのです。TVのアンテナって、クシ状になってるでしょ。

 あれは電波を増幅させるための工夫なのです。金属と金属の間で電波が増幅されるんですね。

 何気ない生活の知恵の中にも、科学的根拠があるのです。

   (さすらいの理科職員さん)

 

また白黒テレビといえば、忘れてならないのが、「垂直同期」と呼ばれる現象だろう。(ゆたかさん)

これはテレビの機嫌が悪いと画面が上から下へ流れたり(コマ送りみたい)画像が歪んだりする現象で、

この調節にイライラした経験者は多いはずだ。

微調整のツマミを少しづつ回すのだが、調整しすぎると今度は逆に下から上に流れていき、、、何度も

繰り返してやっと、OKだと思って席に戻ると、また流れる、、、の繰り返し。

そして頭にきて、横つらをバンバンと叩くと不思議に直ってしまうんだ。

 

ん〜くわしいことはわかりませんが、おそらく昔のテレビは、「真空管」を使っていた

→真空管は、ソケットに「ぐさっと」ささっているだけなのでゆるみやすい

→ゆるむと、接触不良が起こり画像がちらつく

→で、おもむろに叩くと真空管がもとの鞘・・・否、ソケットに収まる

→すると、世田谷区成城・・・否、正常な状態に復帰する

のでは無いでしょうか??

   (atomic服部さん)

 

ええっとですね、理科教員の立場から言わせてもらうとですね、テレビをたたくと映りがよくなるのは

接触の問題なのですよ。家電製品というのは埃のあるところで稼動しているので、どうしても部品と

部品の接触が埃で阻害されてしまうのです。

たたけば物理的に(一時ではありますが)埃がとれて接触が回復し、映りがよくなるというわけです。

これはすべての家電製品についていえることなのです。真空管を使ってないテレビでもたたくと直る

というのはありますよ。これも埃のなせる業だそうで、たかが埃もバカにはできません。

   (さすらいの理科職員さん)

 

 

とまぁ、かなり原始的だと思うが、実際に叩くと直ることの裏付けの発言をいただいた。

だから我が家の父はできの悪いはすぴーの頭を直そうとして、ガシガシ叩いたというわけかな?(笑)

今 うちで使っているビデオデッキはたぶん真空管でなくLSIだと思うけど、叩くとビラビラが

直ることがある。テレビの映りが悪いとか家電の調子が悪いと思わず叩いてしまうのは、我々の

白黒テレビ世代の「悲しい性」というものなのだろうか。。。(汗)

 

垂直同調に関しては、現在では、完全自動調整なので「調整するツマミ」そのものもなくなって

しまったが、これって、いつの頃からなくなったんだろうか。・・・カラーテレビが普及した頃にはなく

なった現象だと思われる。妙に懐かしい気さえもする初期テレビの現象だった。

 

そして、もうひとつ懐かしいネタといえば、白黒テレビのブラウン管の前に、青いセルロイド状の

レンズをたらしていたことだろう。

  (ハットリクン)

ちょうどパソコンのフィルターみたいなやつで、画面が青くなって単色カラーテレビにもなったが

目的は少しでも映像を大きく見せるためのせこい道具だったというわけだ。

 

 

さて、あの頃の白黒テレビの想い出を長々と書いてしまったが、実はこのあと、カラーテレビと

リモコンの想い出を書きたいのだが、これについては、次回にネタ振りすることにしよう。

 

【続編】

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 【原稿:2001/1/28】

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