アメージングスクエア



   


以前、当ホームページで足立区西新井にあったウォーターパーク『東京マリン』の思い出を綴ってみたが、足立区にはもうひとつ忘れてならないレジャースポットが存在していた。その名は『アメージングスクエア』。巨大迷路とバンジージャンプをウリにしていた遊園地で、当時のことを覚えている方には懐かしい青春の1ページがそこにあったかと思う。


アメージングスクエアは日本がバブル期と言われていた昭和62年(1987年)に鉄鋼メーカー「東京製鐵梶vの千住工場跡地(約1万坪)に遊園地として誕生した。建設は清水建設梶Aアトラクションは鞄立製作所があたり、企画と運営は東京製鐵鰍ェ行ったとのこと。場所は京成関屋駅または東武伊勢崎線牛田駅から徒歩5分ほどの所に開設された。人気が出るにつれ、いつの間にか”アメスク”の愛称で呼ばれるようになった。
入園料は 大人800円・子供400円、東京マリンが3500円だったので、比較的割安感があったと思う。キャッチコピーは”これまでの遊園地イメージを一掃する新感覚の体感型遊園地”隅田川のほとりに不時着した不思議空間という設定だった。マスコットキャラクターは「アメットくん」という名前でとぼけた顔をしているサンリオもどきのロボットだった。




絶叫マシンを始め、16の体感型アトラクションがあったが、なんといっても目玉は巨大迷路とバンジージャンプだった。


巨大迷路
開設時は「都内最大の広さ」「壁面全長10km」をアピールし、スタートからゴールまで平均50分ほど費やす長さで、途中に休憩所もあったくらいだ。危険という理由からハイヒールは禁止で、入り口にはスニーカーの貸出があったことを覚えている。傘の持ち込みも禁止で、どしゃぶりの雨に濡れながら迷路にトライしている人もいた。

反則技だが、迷路の下が30センチくらい空いていたのでそこをくぐってショートカットしたり、小高くなっている丘から背の高い人はコースの全貌を見ることもできた。また途中でリタイアした人が上から指示を出し短時間でクリアしたという輩もいた。20分以内にクリア出来た人には「キャプテン大会」に招待され、さらにそこで10位以内に入ると「グランプリ大会」に出場する権利が与えられた。曖昧な記憶だが、グランプリ大会は半年に1回開催されていたように思う。

ちなみに巨大迷路は1980年後半に爆発的なブームとなり、一時は全国に150所もあり「迷路マガジン」といった専門誌も出版されるほどの人気ぶりだった。

   



バンジージャンプ
巨大迷路同様、バンジージャンプが世の中で流行りだしたのもちょうどこの頃だった。何も大枚をはたいて怖い思いをしなくてもいいだろうと思うのだが、「非日常的スリリング」がその魅力だと言われていた。テレビのバラエティ番組でも「罰ゲーム」として取り上げられたのも人気になったひとつの理由だろう。

都内近郊では千葉県「マザー牧場」のバンジージャンプがひときわ怖いと注目されていたが、都心から近いアメージングスクエアに来場する人も多かった。しかし、段々とブームが冷え込んできた頃、巷のうわさでは怖がる女の子が係員にすがりつき、二人とも落下し大きな事故となってしばらくの期間、休園していたという話もある。


前述のバンジージャンプの事故をきっかけに客足が減少したことに加えて、迷路ブームも飽きられてきて、アメージングスクエアは惜しまれつつも2000年春に閉園になった。



さて、その後はというと、遊園地としては幕を閉じたが、現在は「アミューズパーク足立アメージングスクエア店」の名前で営業しており、マスコットキャラクター「アメットくん」も今なお健在だ。かつて巨大迷路があった場所には、ゴーカートの立派なコースがあり、バンジージャンプがあった所はフットサルコートになっていた。その他、園内には屋根のある釣り堀やスケボー・BMXの本格的な練習場、バスケットコート、バッティングセンター、ゲーセンなどアメージングな場所として生まれ変わり、親子連れやカップルで賑わっていた。

   
「アミューズパーク足立 アメージングスクエア店」          屋内釣り堀では都内最大 


   
本格的なサーキットカート                          フットサルコート  


遊園地だった頃の名残を探し回ったところ、入り口付近に当時の看板が放置されていたり、アメットくんを描いた壁画にはオープンした年の「1987 AMAZING INC」の文字が残っていた。廃墟感たっぷりのトイレとその建物の黄色のオブジェ(煙突?)や駐車場ゲートの鉄骨も当時のものだと思われる。また西口には目立たぬよう遊園地を解体した残骸が山積みされていたのが痛々しかった。


   


   



時代の流れとともに様変わりしたアメージングスクエアだが、遊園地時代を知っている世代の方には「あの頃」に想いを寄せることのできる場所なのではないだろうか。一度、足を運んでバブルの遺跡を発見したり、当時の思い出を懐かしがるのも一興かも知れない。


   







「あの頃」のセピア色の想い出 


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