おばけ煙突
「おばけ煙突」というものをご存知だろうか?昭和30年代当時、東京の下町ではシンボル的な存在だった千住火力発電所の煙突、それが通称「おばけ煙突」だ。
4本の煙突は、菱形に建てられていたため、見る場所によって、4本だったり3本だったり、2本や1本に見えたりした。それが一般的な「おばけ煙突」の由来なのだが、別の説もある。とにかくその煙突は大きくて「おばけ」のように巨大な煙突がおばけのような煙を吐くという説。または建設当初、時々思い出したように煙を吐く。それはいつ煙を出すのかわからないから、いつしか近所の人々が”おばけ煙突”と呼ぶようになったという説。正確な由来は定かではないが、ともかくおばけのように巨大な煙突が場所によって本数が変わり、いつ煙を吐き出すかわからないという不思議なもので下町の人々に親しまれていたというわけだ。
調査したところによると、このおばけ煙突は大正15年1月、東京電燈会社(現在の東京電力)が
当時の金額で約1,500万円かけて建設したもので、75,000キロワットの発電量をもつ日本最大の
火力発電所だったそうだ。
高さ83.8メートル、直径4.5メートル 隅田川を船で石炭などの燃料を運んでいたようだ
時の流れとともに時代遅れとなり、熱効率の悪いボイラーが廃止されることになって、東京オリンピック
が開かれた昭和39年秋から取壊され、11月末には、まったくその姿を消してしまった。

うーむ、昭和39年というとはすぴーが6歳の時だから、鮮明な記憶がないのだが電車(東武伊勢崎線)の
中から母親が「ほーら、あれがおばけ煙突だよ。今は2本あるけど、あれが3本、4本に見えてくるからね」と
教えてくれて、煙突の数が増えていく不思議をなんとなく覚えている。

父がいうには、「あの当時は平屋ばかりで高い建物もなかったから、うちからもおばけ煙突がよく見えたもんなぁ。たしかここからは2本で駅(竹の塚)に行く途中で3本に見えるんだ」「近くで見るとあの煙突は本当にでっかくて黒い煙をもくもく吐いていたなぁ」「そうそう、荒川の土手を散歩すると、最初は3本からで、4本、1本、2本、また3本と変わっていったんだよなぁ、、」と遠い目で天井をみつめる。
「そういえば、お前が4歳か5歳の頃、どこまで行けば煙突が1本に見えるかって、ひとりで歩いて行って迷子になったことがあったじゃないか」げっげっ、オイラってそんなアホだったのか。でも聞くところによるとこういう遠出をして迷子になった足立区民は案外と多いらしい。。。(笑)
おばけ煙突を題材にした本や映画


 

「あの頃」のセピア色の想い出 


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煙突の見える場所
1953年ベルリン映画祭、国際平和賞受賞
ストーリー
見る場所によって形を変えるお化け煙突。その不思議な煙突の下に住む
実直なサラリーマン夫婦と、間借り人の男女を中心に繰り広げられる物語。
突然舞い込んできた赤ん坊が巻き起こす
四人の波紋。名匠五所平之助監督が戦後に生きる人々をほのかなユーモ
アと詩情を交えて描く感動編。
おばけ煙突のうた
原作:早乙女 勝元


東京下町で「おばけ煙突」と呼ばれた発電所の巨大煙突。昭和19年夏、
小6の頑太は同級生の勝平にその煙突にロープ
を張って空中を渡ると言う夢を話す。しかし、戦争が激しさを増し、子どもた
ちも疎開する。翌年3月に戻って来た彼
らを温かく迎える「おばけ煙突」。3月10日、東京の空をB29が…。
お化け煙突の見える路地
たかだしずえ著
蒼天ブックス3
絵 山崎克己
おばけ煙突
つげ義春           
二見書房 サラ文庫
1976年8月15日初版発行
こちら葛飾区亀有公園前派出所「第59巻」
おばけ煙突が消えた日の巻
1989年8月15日初版発行
さて、昭和39年に解体されたおばけ煙突はどうなったかというと、その一部が輪切りになって、(下部直径6メートル、重量約3トン)が、昭和40年に足立区立元宿小学校に寄贈され、すべり台として残されている。
さらに平成12年6月20日、おばけ煙突の跡地に東京電力足立支社の新社屋が建てられた。
建物は、地上6階、地下1階、延べ床面積7745・35平方メートル。
全体がエコ・ビルディング仕様になっていて、畜熱式セントラル空調システム、省エネ照明、太陽光発電等が設備されている。1階には、70人収容の他目的ホールも設置され地域の
人たちが利用できる。
話はまだ続きがある。先日、なにげなく日光街道を自転車で走っていたら、遠くに何やら煙突のようなものが3本見える。むっむっむっ、、、もしかしてあれは???
近くに寄るとなんと煙突が2本に減ったではないか!!
そう、これは紛れもなく「おばけ煙突」の再現。。。。
実はこの煙突は「山岸がくぶち」という額縁屋さんなのです。
おばけ煙突をミニチュアにして屋根につけてしまったというお店
でどうやらオーナーの足立区へのこだわりのようだ。
今回のエッセイはほとんど記憶のないネタなので、内容が乏しい。
てなわけで、「画像をベタベタと貼り付けることで、ごまかしてしまえ戦法」を
とり、ブロードバンド対応でない方には小錦のように重たいページになって
しまった。。。(笑)このページの読み込みに3秒以上かかる方は早く光通信にしましょう。
全日本ブロードバンド普及推進対策委員会推奨「はすぴー倶楽部」より←ウソピョーン
おばけ煙突の関連ホームページ
足立区のちれきみん  
日本映画100景 
千住sin
写真の一部は東京電力 足立支社様よりお借りしたしました。
(原稿:2002.10.20)

★その後のお化け煙突情報

前述のようにお化け煙突の一部が足立区立元宿小の滑り台となって
親しまれているのだが、元宿小は児童が減って、現在(2003.12)
各学年1クラスしかない状況。そして開校50周年を迎えた後の
2007年春には、となりの町の千寿第3小との統合に伴って、新校舎
に移る
ことが決まっている。
                                     (2003.12.24)
★その後のお化け煙突情報

滑り台となったお化け煙突が設置されていた元宿小は2005年に千寿第三小と
統合されて千寿双葉小となり、元宿小跡地は2010年4月にオープンした
「帝京科学大学」千住キャンパスとなった。
大学のキャンパス内には、お化け煙突の鋼板がモニュメントとして残されている。 
周囲にはお化け煙突の写真や解説が展示されている。
詳細と画像はこちらのページを参照ください。
                                     (2010.6.14)