前編では「性に目覚める頃」と題して、はすぴー少年がエッチに対して興味津々であったことを書いたが、後編では「性に目覚め頃」とタイトルを若干、変えてますますエッチになっていく性春期いや、青春期の想い出を語ろう。
実際のところ、小学校の時まで一緒になってドッチボールをして遊んでいた女子も中学に入ると、体つきが急に「オンナ」になってきた。体育でマラソンをしていると、背中の汗でブラジャーの紐のあとがくっくりと透けて見える。そしておっぱいを揺らしながら走っている様子を見ると、短パンの中でテントを張りながらマラソンをし続けるすけべだったことを白状してしまおう。同じような経験を持つ男の子は少なくないだろう。
中学2年の時(昭和47年)に「ちびっこ猛語録」という本が流行り、クラス中で回し読みをすることがあった。大人になってからネタにするのだが、「ちびっこ猛語録」を覚えている人はあまりいないので、本当に一時的なブームだったのかオイラの中学だけで流行っていたのかも知れない。もとはスウェーデンからの上陸で、カバゴンこと阿部進が監修をやっていたと思う。表紙の色は赤く、文庫本より小さかったと思う。いわば「性の解説本」みたいな内容で「セックスの方法」「妊娠のメカニズム」「男女の体の違い」「オナニーの方法」とか図解入りで説明がされてあった。また「学校に対する批判」とか「嫌な教師との付き合い方」とかも書いてあって、有害図書ザマス!ということで、PTAから袋たたきになって、すぐに発禁となった。
その後
『新ちびっこ猛語録』という表紙の青いやつが出た。←我ながらよく覚えているなぁ〜  
この書名が「毛語録」をパロっているんだと今になって気がついた。



(原稿:2005.1.23) 

「あの頃」のセピア色の想い出 



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 性に目覚めた頃
中学に入ると「保健・体育」という科目にお目にかかる。略して「ホタイ」。体育は小学校でもあったからわかるのだが、保健とはどんなことが身体にいいとか、怪我をした時の応急処置とか、わりと学術的な学問であった気がする。そして若干であるが「性教育」の分野にも触れていた。思春期の男女の体の違いを説明したページの中で「この頃になると女子は体つきが丸みを帯びてくる」という文章があった。当時のはすぴー君にとってこの表現が妙にいやらしく思えて、教科書に赤線を入れてニヤニヤしていたことを思い出す。(←暗い少年と笑うがいい)そして、そのページの余白にはWXY波型を絵をいくつも描いていた素直な自分が好きだ。(*^_^*)
今と違って性に関する情報も乏しい時代だったから、巷では色々なうわさが流れていた。

 その1:初めてSEXをしたあと、太陽を見ると紫色に見える
 その2:ベビースターラーメンを食べ過ぎるとインポになる
 その3:「ミスタースリム」などメンソールのタバコを吸うとインポになる
 その4:オナニーを覚えたサルは死ぬまでやり続ける
 その5:(男の場合)オナニーをし続けると最後は白い粉が出る
 その6:オンナは3つの穴があり、SEXをしないと、穴がふさがる
 その7:胸の大きいオンナは頭が悪い
 その8:足首の細いオンナはしまりがいい


今にしてみれば、何の根拠のない単なるうわさであったが、その後、何年かしてはじめてSEXをした後、太陽の色を見てしまった自分が情けない・・・汗

芸能界にもうわさがあって、有名なところでは、フォーリーブスの北公次とダニエル・ビダルがエッチをしている最中に取れなくなってしまって・・・・とか、加藤茶と小山ルミが一緒に乗っていた車が交通事故にあった本当の理由は・・・・やっぱ、ここで書いてしまったらヤバイと思うので、割愛しよう・・・
あくまでも当時の根も葉もないうわさであるが・・・
「ちびっ子猛語録」の中で今でもよく覚えているのだが、男の子向けに最初にSEXをする時のアドバイスが書いてあった。
「入れるべき女性の穴は君が思っているよりも、もっと後ろにある」
君はおそらく自分のチンチンの付け根あたりに女性の性器があると思っているだろうがそれは大きな間違いである。君が思っているよりも、もっともっとずーと、後ろにあると思っておくべし。
なんか丹下段平が矢吹丈に送った「明日のために」みたいだが、これは個人的に極めて実践的な助言であり、最初のSEXの時に無我夢中でありながら、頭の中ではもっと後ろもっと後ろと丹下段平が叫んでいた。
そして「立つんだ!ジョー」とも・・・(^^ゞ

当時は今と違ってインターネットでエッチな写真を見たり、18禁レンタルビデオを借りてくるなんかいう時代ではなかった。せいぜいエッチな喘ぎ声が聞けるカセットテープがいいところだ。(一応、ストーリーがあるがすぐにやっちゃうのが特徴)
またテレビにしても今のように裸がでてくることはほとんどなかった。(相撲を除く)
そんな中、"唯一"エッチな番組だったのがシャバダバ・シャバダバのオープニングテーマで始まる『11PM』(イレブン・ピーエム)である。当時の司会者は大橋巨泉で「ウッシッシッ!」を司会を忘れて鼻を伸ばしていた。しかしこの番組は毎日、女性の裸がでてくるわけではなく、金曜日は釣りが中心、水曜日は麻雀が中心とか決まっていた。当時、一般的な家庭ではテレビは一家に一台で、だいたい居間に置いてある。中学生の僕らは夜11時過ぎにテレビを見ることは許されず、『11PM』を見るためには家族が寝静まるのを待って、イヤホンを持って、こっそり居間に行き、暗い中でテレビを見るのであった。
(ということは当時は大人でも11時には寝床に入っていたのだろう)ドキドキしながらテレビのスイッチを入れ、チャンネルを静かに「4」に回す。当時のチャンネルはガチャガチャと大きな音を出し回すタイプ)おっぱいがバーン!と出るはずのところが、大橋巨泉が麻雀をやっている。「あちゃ、曜日を間違えてしまった!!」この恥ずかしい経験を持つ人は相当、多いと思う

        

そういえば、中学の修学旅行の時、『11PM』を見るためにテレビの光が漏れないように暗い部屋の中でテレビを毛布で囲い込むようにして数人で見ていたことが懐かしい。いずれにしても『11PM』は当時の僕らにとって性知識を理解する上でも貴重な情報番組であったと思う。(青少年に悪影響を及ぼすという理由でPTAからのクレームも絶えなかったそうだが)
芸能界だって今とは随分と違う。清純派路線アイドルの時代だ。当時は笑顔が素敵なとなりのマリちゃん(天地真理)、黒髪が素敵だった僕らのシンシア(南沙織)、目がくりっとしたお手伝いの美代ちゃん(浅田美代子)、いつも白いハイソックスをはいていたアグネスちゃん(アグネス・チャン)あたりがアイドルの代表だったと思う。あの小柳ルミ子だって当時は清純派路線アイドルでヤクルトジョアを売っていた。(笑)
この頃、清純アイドルにとって胸が大きいはマイナスイメージで事実、アグネス・チャンは胸にさらしを巻いて歌っていたという苦労話をあとになって本人が言っていた。今のように巨乳をウリにしたイエローキャブ軍団なんて絶対にありえないことなのだ。
もう少し遅れて河合奈保子榊原郁恵あたりが出てくるようになって、まっ、ボインのアイドルもありじゃん!・・・という時代がやってくるのであった。
そして僕たちの極上のおかず、いや、僕たちの青春のヴィーナス「アグネス・ラム」が登場することになる。年初代クラリオンガールにも選ばれたアグネスはまさに、南の島からきた"永遠の恋人"であり、彼女の胸に顔を埋めて窒息した〜いと思った男の子は星の数ほどいたと思う。はすぴー君はアグネスの胸の膨らみにムッシュムラムラしていたが、それ以上に鎖骨に興奮を覚え、以来「鎖骨フェチ」になってしまった。(汗)

この頃、「GORO」という月刊誌があって(といっても野口五郎特集ではない)、アグネス・ラムの水着姿が掲載されていたので毎号、購入していたが、さらに刺激を求めて「EIGA no TOMO」というヌード中心の雑誌に移るのであった。この雑誌は「映画の友」の姉妹商品で、エッチに特化した本だったと思う。「GORO」は母親に見つかっても恥ずかしくないので、本棚に入れたままであったが、「EIGA no TOMO」は母親に見つからないように隠し場所に苦労した。
最後にオイラと同世代のおっさんに当時、人気のあったおかずをプレゼントしよう。
貴殿も彼女たちにお世話になったはず・・・(^_-)-☆

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ちなみにヘアヌードが解禁になったのは、1980年のことなので、当時のヌード写真にヘアを出してはいけないものだった。そして「それらしいもの」が少しでも見えようものなら、鼻の穴をおっぴろげ、ムッシュムラムラ、ムッシュムラムラしてしまうのであった。
そしてこの後、世間ではビニ本(ビニール本)が巷に登場し、エッチなビデオが普及するようになるのであった・・・。しかしはすぴー的には見えそうで見えないあの時代に生まれてよかったと思っている。